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セーフコフィールド球場

私のスーパーヒーロー「イチロー」の引退。。。なんでパパ泣いてるの?と子供にツッコまれる。

小さいころからバスケットボールをしていた自分が、いかにしてイチローを好きになり、毎日、イチローの記事を探すようになったのか?

 

1994年、私が親元を離れた大学一年の年に突如として現れたスーパースター。

この年200本安打を達成したイチローだったけど、私個人としてはポッでの若手にすぎず巨人の岡崎や原の出番が少なくなり「そろそろ引退かなぁ」とそちら方が気がかりだった。

特に好きなチームも当時はなく、父親世代のような王、長嶋といったスーパースターと言われる人たちをリアルタイムに知ることがなかったため、プロ野球というものからドンドン興味がなくなっていった。

 

95年の震災

「がんばろう KOBE」を合言葉にORIXの優勝。その復興のシンボルとして爽やかに輝くイチロー。

もう気づいたらイチローにハマってました。

翌年からホークス、オリックス戦を見に行く機会が増えた。ライトスタンドから見る51番。ただただカッコイイ!

バッターボックスで1球ごと振り子の瞬間に球場全体がフラッシュにつつまれる。

生まれて始まてスーパースターというものを見て、感じた。「イチロー」

 

日本人野手として初めてメジャーに行ってからは、毎日のニュースが楽しみだった。きっとみんなもそうだったでしょう。

日本時代の2軍、1軍、メジャー1年目と合わせてたしか10年連続首位打者だったかと。

メジャー2年目辺りに新庄がメジャーに挑戦となったときは、何となくイチローの偉業を汚された感じがして嫌だった記憶が。ごめんね新庄。

 

WBCでの活躍で私の中で「スーパースター」から「スーパーヒーロー」となった。

 

シスラーの記録を抜いた年にラスベガスに行く機会があり、何となく現地のテレビを見ていたら各スポーツ界のアンタッチャブルな記録について紹介していた。

その中でベースボール部門でイチローが4割を打てるかどうかをディスカッションしているコーナーがあった。

日本だけがイチローを騒いでるのではなくベースボールの国アメリカでもスーパースターなんだと誇らしかったしうれしかった。

 

イチローがヤンキースに移籍した2012年

私が会社を辞めて新たなスタートを切った年でもあり、ここからのイチローの歩みと自分を重ね合わせて暮らしてきた。

自分が楽をしたり怠けていたりするとイチローの姿が自分を奮い立たせてくれた。

仕事でミスをしたりトラブルに巻き込まれても、決して下を向かないイチローのように自分も歯を食いしばり今日までやってきた。

イチローがいたから楽しみがあり、仕事も頑張ってこれた。

夢をありがとう。

引退試合となった昨日2019/3/21の試合は、打席ごとに目に焼き付けた。

最後まで全力で疾走する姿に涙あふれた。

スタンドの皆さんが総立ちで、それに応えるイチロー、あ、、、本当に引退なんだと思ったら嗚咽していた。

子供たちが心配そうに私のところに来たので「花粉症だから」と言ってごまかした。

菊池雄星の涙にも感動した。

2009年に春の選抜で雄星のピッチングをみた時は、なんだこのバネのある子はと驚いた。

ただ高校生の頃の菊池はすぐ泣くマンであまり好感を持てなかった。夏の選手権では明豊の今宮を応援していたからかもしれないが。

 

これからイチローがどうなっていくか、という事をまだ割り切っては考えられない。この徒然なるままに書いている文章も涙ながらのタイピング。

多分、日本中に私みたいな人がいるのであろう。

いつかイチローがOFFの時にたまに訪れるという神戸の牛タンの店で偶然に会えた時は、

1 勇気をだして写真を撮ってもらう

2 サインをもらう

3 握手してもらう

4 遠くから見つめる

上記4つのうちどれかは迷惑にならないように注意しながら、勇気を振り絞り実行したいのである。

 

 

 

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